東征流短杖とは

塩川伝無外流

 大阪府警の武道師範故中嶋浅吉先生から無外流塩川寶祥第15代宗家が継承した内田流短杖術は、塩川伝無外流の併伝武術とされました。廃刀令で刀を失ったサムライたちが競って学んだ短杖術は、現代においては無外流を学ぶ女性剣士にも「傘で代用できる」と学ぶ者が少なくありませんでした。

塩川・新名伝無外流と東征流短杖について

 塩川宗家の無外流を継承した、流祖辻月丹から数えて16代目、世界最大の派閥 明思派の新名玉宗宗家は、学生運動時、新宿の騒乱を電柱にのぼって見ていました。
 「これは内田流短杖術では追いつかない」というのが結論だった、と言います。

 そのような危険な場で、相手は素手ではありません。
 必ず近場にあるものを右手につかみます。
 角材、木刀、石などはその最たるものです。
 「内田流短杖術は、神道夢想流杖術の免許受領者てある内田良五郎(黒田藩足軽)が創ったものです。「まあ遣えるか」という動きもありますが、こんな動きをしていたらホントに剣を遣う人達からは簡単に殺されるというものがいくつもあります。
 無外流をやる者なら、それはわかるはずです。」(新名玉宗宗家)

 そこで新名宗家は、対刀として想定された内田流を、対角材や木刀、なんでも武器になるものを持った現代の相手を想定し、さらに最短最速で制圧できる短杖術として再編纂しました。その技術はまさにからだの捌きによるものであり、これを身につけることで無外流の理解が深くなるものに昇華させました。
 流派名は、無外流らしく新名宗家が禅の指導を受けていた、臨済宗妙心寺派 龍源寺の松原哲明和尚がつけられました。松原哲明和尚は2010年にご他界されているため、命名の所以はわかりません。想像するに神武の東征の歴史にならい、九州から出てこられた新名玉水(当時)宗家が、武道普及を成し遂げることをその名に込めたのではないかと思います。
 塩川・新名伝の無外流にとって、東征流短杖は併伝武術となりました。新名玉宗 無外流明思派宗家は、東征流短杖護身術宗家でもあるのです。

久保田代表理事

 2025年、日本中の無外流諸派が集まる「国際大会」において、国際居合道連盟鵬玉会の武田鵬玉会長が、新名宗家の無外流名代演武をすることになっていました。武道において、宗家の名代演武というのは、重要な意味がある、栄誉にあふれたものです。
 その準備をしながら、新名宗家から東征流短杖も学んでいたときのことです。
 「久保田さん(財団法人無外流の久保田代表理事)が、『東征流短杖も(鵬玉会の)武田さんにやらせたらいいじゃないですか。武田さんなら、きっと次の時代に残してくれますよ』と言うんだ。『武田さんが(東征流短杖の普及・指導活動を)やりたいかどうかわからないじゃないか』と言ったんだよ」
 しかし、その答えは簡単でした。

 無外流を鵬玉会の弟子たちが極めるためには、からだのサバキを本当に習得することが重要です。しかし、それは簡単ではありません。
 素手により近い、闘争術とも言える「東征流短杖」なら、それをより早く理解する手助けになります。
 なによりおもしろいのはよくわかっています。
 そして刀と同じ長さの短杖は、市街をもって歩ける刀なのです。
 こんなにすごいことはありません。
 そこで東征流短杖を鵬玉会でもありがたくお預かりすることになりました。